2018年02月28日

美心(びじん)を育てるお釈迦様の教

この身体は水瓶のように脆いものだと知って、
しかしこの心は城廓のように防備する。
知慧の武器をもって、
悪魔(心の汚れ)と戦う。
克ち得たものをそれに執着することなく守る。

真理のことば/40

*   *   *

インドの水瓶は素焼きで作られているそうです。
そのため表面から水分が蒸発して温度を失い冷えた美味しい水になる。
灼熱のインドでは水瓶は命と直結しているようです。
また汚れている水であっても水瓶に入れることで、汚れが瓶の底に沈み一日たてば飲むことができます。
ただ素焼きの水瓶は、手で叩いても割れるほどもろいもの。
私たちの身体も、この水瓶と同じようにもろいのです。いくら美味しい物を食べても、鍛えても、事故に遭ったり、病気になったり、ある日突然に死ぬこともあります。
そう考えますと、かろうじて生きている、という言葉が相応しいのかもしれません。

そして心ももろい。
お釈迦様は「体は水瓶のようにもろい、心は大きな町のように混沌としている」と言われました。
大きな町には、市長さんもいる、証人もいる、泥棒もいる、善人も悪人も、実にいろいろな人がいます。
汚いといえば汚く、きれいといえばきれい。安全であり危険であり、便利であり不便であり、自由であり不自由であり、心もまたそのようなものだよ、とお釈迦様は教えてくださいます。

身体はもろく、心は矛盾だらけでは、どこまでいっても安らぎを得ることはできません。
だから「智慧の武器をもちなさいよ」とお釈迦様は言います。
戦うとは誰かと戦うのではなく、自分の中の依存する心、歓楽に耽る心と戦うという意味です。
なにかに執着し依存してしまうと、依って立つものがこわれるたびに、憎しんだり苦しむことになります。
依存することなくいつも自由であること、最終的には身体にも心にも依存しない、何にも執着しないのが仏教の目的とのこと。
なかなか難しいことですが、諦めることなく精進して参りましょう\(^o^)/

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posted by むじゃくさん at 14:07| Comment(0) | 仏教を楽しむ
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